くゎいだん。

ラフカディオ・ハーンってモンゴル人っぽい名前ですね。

ハマーン・カーンも。関係ないですが。

先日、実家に帰省した時、葬儀関係の仕事についている弟から短くて良く出来た怪談(つーか体験談)を仕入れました。が、僕はガチの怪談を語れる人ではないので、使い道がないんですよね。とりあえず忘れないうちにブログに残しておきます。ベタっちゃあベタですが、語ってみたい方いらっしゃいましたら、ご自由にどうぞー。

 

弟が、葬儀の打合せを遺族の方としていると、同僚から電話がかかってきたそうです。

弟「もしもし?」

同「(弟)さんですか?ちょっと聞き・・・あぁ、打合せ中ですか、じゃあ、また後ほど」ガチャ。

その日の夜、事務所にて

同「さっきはすみませんでした。でも、取込中だとすぐ分かりましたよ、女性の方がワンワン泣いてて大変でしたね」

弟「え、打合せしてた相手、奥さんを亡くした旦那さんだけど?」

ムシムシ大行進

僕が偏愛する古典落語「疝気の虫」にまつわる話。

ある日、医者が見たこともない虫を見つける。捕まえてみると「自分は疝気の虫だ」と口を利き出し…

なんてもう、粗筋もへったくれもない噺。この「疝気」という言葉、今でいうと尿道炎とか膀胱炎とか、そういうシモの病気の総称なのですが、昔、病は体内の虫が起こしているという考えは、いわば常識でした。というのも、江戸時代は「細菌」という概念がなく、また、衛生面でも今とは比べ物にならなかった為、寄生虫に感染する人も多かったそうです(気になる方は「寄生虫+浮世絵」で検索!・・・グロ注意)。だから、病に倒れた人の遺体の中から、寄生虫が出てくる→じゃあ原因は虫だ!と、なるのは無理ない事だと思います。主役が医者である事からも、この噺はまず「①医学」がテーマなのは言うまでもありません。

体内に住んでいるとされる虫の種類は「疝気の虫」以外にも沢山あります。先日、入手したこの本は、戦国時代の医学書「針聞書」を絵本の形に起こし直したものなのですが、

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ここには、疝気のようなシモの病だけでなく、今で言う腹痛から歯槽膿漏から熱中症や躁鬱病まで、様々な症状を引き起こす虫が書かれています。中には「大酒の虫」なんてものがあって、

余談です。酔っぱらってべろんべろんになる事をよく「泥酔する」、といいますが、「泥酔」の「泥(でい)」、とはドロではなく、水のないところではドロのようになるという、空想上の虫の名前。べろんべろんに酔っぱらう姿が「泥(でい)」に似ているから泥酔と呼ばれるようになった・・・って説明に納得しそうになったのですが、そもそも、「現実」のドロに似た「空想上」の泥に、「現実」の泥酔者が似ているとはどういう事だ???

閑話休題。

とても面白いのですが、その中に実在する寄生虫と同じ名前の虫があります。それは、「蟯虫(ぎょうちゅう)」。子供の頃、ぎょうちゅう検査で、お尻に青いシールを貼ってもらった、アレです。蟯虫について「針聞書」では、このように書いてあります。

六年に一度めぐってくる「庚申」の夜、取り付いた人の体内からそっと抜け出す(中略)その人が抱いている欲望まで閻魔大王に告げ口し、地獄に落とそうとする。

この特徴、中国の道教に伝わる三尸(さんし)信仰が原型になっております。そういえばこの本を見つけたのは大妖怪展ですし、三尸は「しょうけら」と言う妖怪に深い関係があるとされております。また、こういった「原因の分からない異変を抽象化して形を持たせる」発想は、妖怪を生み出す過程と実に似ています。って事は、この噺は「②妖怪」もテーマになっているとも言えるでしょう。

最後に、この噺の中で、医者は「疝気の虫」から虫の弱点を聞き出し、それに基づいて患者に治療を施します。この、体内から情報を聞き出すという考えは、現代医療にも通じます。

http://irorio.jp/sophokles/20140122/105006/

ね。

つまり、現代において、疝気の虫は「③ナノテクノロジー」の存在を予知させるという…こんな多角的な、深みのある、かつ、ばかばかしい内容の噺が他にあるだろうか。

まあねっ!そんな小難しい話はどうでもいいのよ(権太楼師匠の口調で)

俺はただ、お尻かじり虫みたいな声で、ちんととさんの、ぱっぱっぱがやりたいだけなのっ!(まとめるのが面倒になったので論理を放棄)

 

たすけてくださいっ

猫好きの国

「猫好きには、ただの猫好きなどいない。全ての猫好きは、猫キチガイなのである」

三代続く猫好き伝わる座右の銘

よくわからない名言で始まる、今日の日記。

でも、本当にそう思います。

 

千代田線の列車の中、落語教室の先輩がイタリアに遊びに行くってんで、いろいろ話を聴いてた時に出た話題なのですが、イタリアは、街全体にとても猫が多いそうです。で、猫キチガイな私としては気になったので調べてみたら、

余談ですが、キチガイという単語を人に使うのも自分に使うのも好きではないです(だから、僕の「平林」のサゲは、キャナリーで習ったものと違います)。にも関わらず、祖母から母へ、母から僕へと伝わった口伝のお蔭か、猫好きはどこか頭がおかしいという事実を嬉々として受け入れております。

閑話休題。

日本と比べて動物愛護の考え方は進んでおり、猫の「権利」を認めているそう。詳しくはこちら(↓)に記載しておりますが、猫の「権利」とは、具体的には生きる場所を選べるという権利。家猫として暮らすのも「自由猫(イタリアでは野良猫という発想がないそうです)」として暮らすのも、猫自身の自由意思を尊重するという考え方です。

http://animamia.jp/italy-cat-gatto-libero/

つまり、殺処分を認めない代わりに、個体数のコントロール(去勢や避妊手術)を行政が行っているのだそう。上記サイトには載ってないですが、動物の糞尿についても、清掃車が通った時に回収されるようで、猫にとっても猫好きにとっても天国のような場所である事は疑いようもありません。

 

あゝ素晴らしき哉、猫キチ、、、こほん、猫好きの国!

マットレスを締め太鼓、枕を大胴に見立てて、覚えたばかりの出囃子の練習してたら深夜1時を過ぎちまった。今日は「梅咲」「お江戸日本橋」「竹雀」「芸者ワルツ」

 

狐七化け、狸は八化け

古典落語の「紋三郎稲荷」が好き、と言うそれだけの話。

なんで好きか端的にいうと、「おらが里の」落語だから。あまりメジャーでない噺なので、簡単に粗筋を言いますと、

笠間藩の武士が江戸に向かうのだが、風邪をひいてしまって予定より出発が遅れてしまった。仕方ないので籠屋を頼んだところ、この籠屋が武士の事をお稲荷様の眷属と勘違いし…

という民話みたいな噺。それで、物語の始点が取手、終点が松戸という、小学校三年生で東京から茨城に引っ越してずっと、水戸街道近辺で暮らしていた僕には、馴染みのある地名が数多く出てくる噺なのです。

でも、不思議に思ってた事が一つあって、この物語の中盤に武士が「いま、どの辺りだ」と籠屋に尋ねると、籠屋は「牧の原です」と答えてるんです。牧の原、これは今でも残っている千葉県印西市内の地名なのですが、なにが不思議かと言うと、取手から松戸に至る道筋の中には、まず、牧の原は入らない。

とは言っても、地元民以外は???なので、
詳しくは下の地図を参照にしてね。

 

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ね。始点が取手、終点が松戸なら、普通は水戸街道(今の旧水戸街道)を通るはずなのです。なのに、ぐるっと回るように牧の原を通ってる。勿論、フィクションなので、何処を通ろうと支障はありません。でも、籠屋は所謂、悪徳業者の「雲助」って感じではないし、そもそも地名すら明かす必然のないシーンで、どうして牧の原という、人によってはすぐ分かってしまう「嘘(という言葉がキツければ、違和感)」を盛り込んだのか、そこが良く分からなかったのです。で、暫く分からないまま「そういうこともあるだろ」と、放置してたら忘れてました。

が、つい先日、実家に帰省した時に、たまたま北総線「印西牧の原駅」の駅前にキツネのオブジェを見かけて、これはやっぱり牧の原でなければならない必然があるはずだ、と、もう一回調べなおしたら、意外にあっさり理由が判明。

あの辺りは、昔から草深原(そうふけっぱら)と呼ばれてて(牧の原との関係性はまだ、詳しく分かってないのですが、草深原の一部が牧の原と呼ばれるようになったという認識です。余談ですが、前述の北総線「印西牧の原駅」、建設中は「草深駅」だったそう)、その特殊な生態系から「奇跡の原っぱ」と呼ばれており、

今も、キツネが、棲息してるのです。

絶滅寸前のホンドギツネが。

この噺、物語のあちこちにお稲荷さんに関連する地名が出てきてたので、長い間、気付かなかったのは我ながら間抜けとしか言いようがないのですが、誰が想像します?千葉の住宅地に、キツネですよ?21世紀にですよ?ジブリかよ!仕込みにしたって、芸が細かすぎるよ!!!←悔しさゆえのイチャモン。

勿論、重箱の隅をつつかなくたって、良く出来た楽しい噺なのですが、ますますこの噺が好きになりました。でもね、遺憾せん、この噺、技量うんぬん以前に、ワタシがやるには重大な欠点がございまして。それは、

 

ワタシのビジュアルだと、

どうしても、

狸にしか見えない(涙)

ワールドビジネスサテライトを観ているワタシの脳内に鳴り響くものは

円高、円高って言うけれど

円高って一体なんなのさ

円高で得した人もいれば

円高で損した人もいる

これで、えぇんだか、わるいんだか

あゞ やんなっちゃった

あゞ 驚いた

 

牧伸二師匠は、つくづく天才だよなあ…。

テレビではなく、寄席で観たかった芸人さんです。

あ、いや、WBSで大江アナが「円高で、今後日本はどうなってしまうのでしょうか」と言ってたので、ふと、思い出しただけです(笑)

RSS

ブログらしく、RSSに正式対応してみました。

昔、SNSが主流では無かった頃の話。ブログは、いつ新しい記事が追加されるか分からないので、頻繁に見に来なくてもいいように、RSSリーダーを使っていたんです。

って、もう、おじさんの技術なのかなあ(遠い目)

 

って事で、RSSリーダーに下記のURL(http://~)を登録すると、僕が新しい記事を載せた時に通知されるようになりますので、興味がある人は試してみて下さいなっと。

まあ、時事性がほとんどない、まるっきし無駄な内容が、このブログ本来の値打ちなのですけどね(笑)ヒマな管理人が試してみたいだけでございます。

http://kojikayose.wpblog.jp/feed/

気になる方はとぞー。

 

ケッコウケダラケ

第三回仔鹿寄席の出囃子の課題曲に

「男はつらいよ」

が、あったので、iPhoneに落として聴いているのですが、そのアルバムの中に、寅さんの啖呵売の口上がそのまま入っておりまして。さすがにテーマ曲は耳馴染みがありますが、口上をまともに聴くのは初めて

 

最近のブログを見直すと、俺、本当に初めてな事柄ばかりっすね。我ながら、どういう人生を送って来たらこんなに無知なままでいられるのだろう?本当に恥ずべき事だと思ってますが、知らないのに見栄を張らなきゃいけない歳でもないのヨ。

閑話休題。

 

なのです。なんとなくのイメージとしては、路上販売なのですから、落語「蝦蟇の油」の前半のソレみたいに、もっと声を張り上げて硬い感じで叫ぶようにやってるのかと思いきや、立て板に水には違いないけど、何この軽妙な調子は。

 

あれ?でもカッコいいぞ???んん???

 

そろそろ、三十路も終盤に来て、寅さんの良さが分かる感性になりつつあるのかな。でもなー、全49作でしょ。これは開けちゃいけないパンドラの匣だと思うんだけどなー。こち亀読破、とか、火の鳥読破、とか、グイン・サー(略)、という不吉な単語が脳裏をよぎりつつ、とりあえず1作だけなら、とググったら、15作目の「寅次郎相合い傘」がお勧めらしい。

縁あって金町に住み続けて、はや16年過ぎちゃって。歩いて帝釈天に行ける身としては、寅さんが楽しかったら割と幸せじゃなかろうか?と、こういう機会ですから、食わず嫌いは止めて、ちょっとだけ手を出してみようかナ。

 

って事で、昔からの寅さんファンのおアニィさん、おアネェさんの方々におかれましては、ご指導ご鞭撻の程よろしくお頼み申します。なんて(笑)