活ハウスにて。

‪今日ランチビール片手に、たらたらと活さんに愚痴ったけど、コロナ禍に対する社会人落語家の危機意識のレベルって宣言解除がどうの経済活動がどうの言われても、最終的にはその人の価値観や、その人の環境によって全然違う。早く人前で喋りたいお気楽な奴(まあ、どちらかと言えば、言わなくても僕もその部類)がいれば、どんな対策を打っても怖いモンは怖いと言う人もいる。

んで、ここんとこの傾向から見える、危機意識のレベルが違う一番大きな理由は同居人の有無だと思う。まぁ、自分の道楽と同居人の命を天秤にかけられないのは、人として普通の判断だよなあ。なんて思いながら帰った。

実際、僕はコロナ禍が始まって以降、帰省してない。怖いからだ。そんな男に首都圏外や、親世代(あるいは同世代でも家族と同居)を巻き込む資格などない。とは言え、配慮が足りない事もきっと多いのだけど。

そして告知はしてしまう二律背反。会として衛生には最大限、注意を払いますが、最終的にはお客さん個々人の体調や環境を踏まえた判断に甘える形になります。自己の命を顧みず冷静さを失って僕に夢中になってしまうようなファンは、この世界には存在しないと言う…自分で言ってて有難いような、なんだかとても心細いような(笑)

野球や麻雀じゃないんだから既定の人数が揃わないと出来ないゲームじゃない所がまだ、救い。暫くは、色んな価値観のレベルを調整しながら、告知したり延期したり中止したりが続くのだろう。

緊急事態宣言が始まった頃、「afterコロナ」に向かって自粛してればまた元の世界に戻る、と言う理屈を何の根拠もなく持ってたけど、今では「withコロナ」の中で自衛しろなんて時代になるとはね。僕個人は、でき得る限り経済活動と同じく(いや、プロの噺家さんにとってはまさに経済活動なのだけど)趣味とコロナ対策との両立を探っていきたいと思うけど、同時に頭のどこかで「近い将来、この趣味を捨てざるを得ない状況が来るのではないだろうか」と、思ってる。

それはそれであんまり悲観してない。落語を始める8年前まで戻るだけだし、何かを捨てる事で、別の可能性を得る事はよくあるからだ。簡単には捨てないけどね。人生成り行き。