ロースコアボーイ(大学生アーケード編)

大学時代、奨学金も貰ってた上に親の仕送りがあったので、慎ましく暮らすには足りていのだろうけど、どっこい遊び盛りの大学生、何かバイトを始める事に。

最初のバイトは憧れだった(華やかそうに見えたのだ)飲食店のウェイター。水戸では結構高級な中華料理店に採用されたが、持ち前のドジっ子気質で常連のおばさまの毛皮のコートにウーロン茶10杯分ぶっかけてクビになる。途方に暮れてた時に見つけたのは、水戸の繁華街、大工町ゲームセンターのバイト募集だった。

そこでも何とか採用されたのは良いけど、当時は店長とフリーターの先輩と僕の三人体制。学生という事で配慮してもらってたと今では思うが、それでもかなりシフトを割り当てられてたと思う。特に冬場の朝番は手足がかじかんでしんどかったのを覚えてる。

多分、ハイスコアガールの原作者は僕より二歳下くらいだろうなあ。バイト当時は格闘ゲーム全盛期。バイト先でも毎月トーナメントを開いてました。確かストリートファイターZEROシリーズとかKOFシリーズが多かったと思う。僕は裏方が好きだったのでトーナメント表を作ったり告知ポスターを作ったりするのは嬉々としてやってたが、時折、トーナメントの司会を任されたのが陰鬱。技名が覚えられない、アドリブが効かない、声が小さいの三重苦でワタワタしてたところ、見兼ねた先輩が交代してくれたりしてました。その司会交代劇もまた盛り上がったりね。

色んなお客さんがいたなあ。単位計算だけはやたら得意な学校サボりの高校生は沢山いたし、繁華街だったので酔っ払いも多かった。「があああああ!」と雄叫びを上げながら店の自転車を持ち上げる酔っ払いにはビビったけど、直ぐ「あああああ」と言いながらスンナリと自転車を下ろした時には笑った。

格闘ゲーム以外では音ゲーが流行り出した頃でした。ビートマニアとかポップンミュージックとかダンスダンスレボリューションとか。何となく、プレイヤー層も所謂ゲームヲタク以外の人も多かったと思う。趣味でDJやってた友達が「あんなの全然DJプレイと関係無いよ」と言ってたのを覚えている。

就職活動の為、大学4年になった時点でゲーセンのバイトを辞めた。本当は、正社員になれるならそこに採用してもらおうと思うくらいに楽しかった。実際にゲーセン業界も何社がか応募したけど、殆どがパチンコ屋の店員募集だったので諦めて今の会社に入った。

ロースコアボーイ(大学生コンシューマー編)

大学編ですが、コンシューマー(自宅で遊べるテレビゲームの事ね)編とアーケード(ゲームセンターの事ね)編に分けた理由として、大学時代に数年間、ゲーセンの店員のバイトをやってたもので、よりいっそう書くことが多いのです。

水戸の大学に進学して、近所のアパートで一人暮らしを始めました。高校生編でも書きましたが念願のプレイステーションを買ったのでゲーム三昧…かと思いきや、結局、部室で友達とゲームやってる時間の方が圧倒的に多かった気がする。僕は同じ高校から一緒に進学した友達からの縁で学生新聞部というサークルに所属。部室は学友会という、いわゆる大学版生徒会と共有で、今みたいに夜間の部室閉鎖みたいな事はなく、盆と正月を除いて24時間、部室に行けば遊び相手には事欠かない状況でした。

部室にはスーパーファミコンもプレイステーションもセガサターンもあったので、ひたすら「朝までぷよぷよ」「朝まで鉄拳」「朝までバーチャ」などなど、基本的には朝までコースで酒をガブガブ飲みながら遊んでばかり。真面目なサークル活動もやってた筈ですが、そっちはもう殆ど覚えておりません。学業はもっと覚えてません(このブログを両親が読まない事を切に願う)もし、当時の僕に出会う事があったら、もっと勉強しろ!と叱ってやりたいですね。そしてコントローラーを取り上げて今の僕がゲームします。

ま、すっかりネットニュースに押されて数年前に新聞部もなくなったみたいです。

部室で遊んだゲームで覚えているのは上記3本は別にして、「ダイナマイト刑事」「アウターワールド」「パネポン」「サクラ大戦」「クロックタワー」「バイオハザード」「ナイツ」挙げたらキリがないですね。本人視点のシューティングゲームの元祖「ドゥーム」を傍から見て車酔いを起こしてぶっ倒れたり、迷作「デスクリムゾン」のコンバット越前の珍発言に大笑いしたのは良い思い出です。自宅で遊んだのは「ゼノギアス」「ポポロクロイス」「サイ」「ペルソナ2」「フロントミッションオルタナティブ」などなど。あと、就職活動中に買った「どこでもいっしょ」とか、ワンダースワンの「グンペイ」の圧倒的中毒性と電池持ちの良さを覚えてます。