初期衝動

明日、デイケアで「平林」をさせて頂くのですが、この噺、2012年にキャナリーに入って初めて教わった演目なのです。で、何となく習った当時の台本を見直したくなってスマホを漁ってたら、凄いのを見つけた。

何かと言うと、その「平林」が最初の演目なのですが、そこに至る過程で、入会当時に私は英楽先生に最初に習いたい希望演目を挙げてたのです。ロクに寄席にも行ったことないのに。

それが何の演目かと言うと、

死神
文七元結
味噌蔵
悋気の独楽
一文笛

…よく、その場でクビにならなかったナァ…自分の発言ながら頭痛がしてきた。当時の英楽先生の忍耐が偲ばれます(笑)

それはそれとして、不思議な事に、あれから6年、僕は上に挙げた演目を1つも持ってません。それどころか、うち幾つかは、今度落語を続けてもやらない気がする。当時は知らないなりに真面目に希望を出したのだと思うけどね。初心に返る気に全くなれない珍しい例です。

こういうの、何テェの?黒歴史?

「そのほかの出演情報」更新

 

そのほかの出演情報

まだ半年以上、先の話ですが、2018年に引き続き、2019年1月の我やが家寄席・初席に出演させていただく事になりました。新席亭の桃姫さん、貴重な機会の場を本当にありがとうございます!頑張りますっ!!

…ほんと、先々の予定が埋まると生きる気力が湧くわー。

能天気な夢

ゴールデンウィークが終わる寸前、珍しく深酒で眠ってしまったら

立川談志師が、落語教室の講師をされてる

と言う、実に能天気な夢を見た。能天気の代償として、起きた瞬間、つまり今、ゴールデンウィーク中に呑んだすべての酒の分まとめたような酷い二日酔いになってる。

頭痛え。水飲んで寝ちまおう。でも、夢の続きは、まぁ見ないだろうなと。

東京砂漠

「東京の人は冷たい」なんて子供の頃、何かの本で読んだ事がある。当時、茨城在住だった自分は成る程そんなものなのかと考えてました。それから大人になり、20年弱暮らして思う事は、その言葉は正確ではなく

「東京に住む地方出身者は、新米の他の地方出身者に冷たい」

って事だと思う。それくらいに東京ローカルの方々の人間関係は、飛び込んでみると良くも悪くも濃厚だ。上方の方々の敷居の低さともまた違う濃厚さではあるけれど。確かに基本的に口は悪いし、だから皮肉っぽいし、人によっては距離を置く人はいますが、突き放すような、刺すような「冷たさ」を感じるのは東京ローカルの方々より圧倒的多数の、同じ(地元は同じじゃないけど)都内在住在勤年数の少ない地方出身者だと思う。

※個人的な感想です。

そんな事を思う地方出身者でした。レッツ東京カモーンヌ♪

追記

別に地方出身者を安易にディスってる訳でななく、お互いにアウェイの状況(しかも、お互いにホームが違う)で仲間意識を持つのは難しいよな、というだけの話。

落語鑑賞覚書

話芸に親しむ会

於 北沢地区会館

菊龍「居候〜湯屋番」

菊龍「富士詣り」

(敬称略)

毎月、第1金曜日に開催されている菊龍師匠の会、東八拳の和樂会長からお誘いいただいたのですが、なかなか仕事で都合が付けられず…今回、祝日だったので初めて行って参りました。

一席目は、言ってしまえばフルサイズの「湯屋番」なのですが、通常はサラッと終わらせる居候と家主の会話をきっちりやって、湯屋に行く前にサゲると「居候」というタイトルになるそうです。で、今回は前半もきっちりやりつつ、所謂、湯屋番まで通しでされてました。終わってみると45分経っててびっくり!聴いてる間は全く長さを感じませんでした。

二席目は、タイトルだけは知っていたのですが、拝見するのは初めてです。ちょうど山開きの季節という事でかけられたそうですが、山岳信仰が伝わる面白い噺でした。本来のサゲまではせず(と言っても僕は本来のサゲは知らないのですが)、短めにサラッと。

終わってから打ち上げに混ぜていただきました。お客さんは皆様、菊龍師匠との交流が長い方々のせいか、終始アットホームな雰囲気を堪能させて頂きました。平日開催、場所も職場から遠いので頻繁に参上できず恐縮ですが、また隙あらば伺いたいです。

良いお旦とは

酔っ払いの無駄話。長文ですがオチはないよ。読むならそのつもりで。

ここ数年で色んなところに顔を出してます。その中で、最近、思う事があります。

落語教室から始まって、寄席文字、出囃子を教わったり、幇間芸、東八拳を教わったり、まぁ無節操に活動してます。別にどこかの分野で活躍できるとも、僕が学ぶ事が伝統文化の普及・発展に貢献できるとも思ってません。何を担うこともなく、何の責任もなく、ただ興味のままに趣味の一つとして楽しんでますし、それが相応だと思ってます。同時に、そういった伝統文化の世界が無くなって欲しくないな、もっと言えば盛り上がって欲しいな、と思ってます。

そうすると時折、もう自分が趣味とは言えプレイヤーでいる余力を減らして、パトロン、お旦になるのに集中するのが一番良いのか、と思ったりします。寄席でもお座敷でも何でも、文化の担い手である数多くの芸人さんを応援する、という形で楽しんでる人が大多数を占めています。でも悲しいかな、持ったが病、と言うより、ハマる前に落語教室の門を叩いてしまったからか、高座の快感を手放す覚悟が出来ない、潔くない自分もいるのです。

だから、せめて自分に出来る範囲で良いお旦でいたいな、と、思います。でも、芸人さんにとって良いお旦と言うのは一体何なんだろう?とか探りながら、やっぱりあちこち顔を出しながら過ごす日々です。

まだ回答が出てないので、オチはないよ。ただ、何つーか、こういうモヤモヤにぶつかる人は他にいないのかな、と、思ったので書き記してみました。自分でも上手く伝わるか自信がないので、何言ってるか分からねー、と思った方は時間の無駄ですみません。お粗末様でした。

追記

見直して思ったのですが、要はお世話になってる、とか応援したい師匠の落語会と、自分のデイケア等の高座が重なったくらいでいちいち糞真面目にジレンマぶってんじゃねーぞ、くらいの気がしてきた。悩み過ぎなのかなぁ。もちっと気楽にいきたいね。まあいいや、おやすみー。

かっぽれ

かっぽれ かっぽれ ヨーイトナ ヨイヨイ
沖の暗いのに白帆が サー見ゆる (ヨイトコリャサ)
あれは紀の国 ヤレコノコレワノサ(ヨイトサッサ)
みかん船じゃエ (サテ みかん船) みかん船じゃ サー見ゆる(ヨイトコリャサ)
あれは紀の国 ヤレコノコレワノサ(ヨイトサッサッサ)みかん船じゃエ

(サテ)豊年じゃ万作じゃ 明日は旦那の稲刈りで
小束にからげてちょいと投げた (セッセ)
投げた枕に 投げた枕に とがはない

今日は山形から新規入会された方がいらっしゃったのですが、なんと17歳!先日の日本舞踊の方との飲み会でもそうだったのですが、芸事を身に付けさせるにあたって、始まりは早ければ早い方が良い、と言うのは本当だと思う。体力、集中力、記憶力は勿論、一番の武器は子供としての素直さなんだろな。大人になればなるほど「教えてもらった事をそのまま再現しようとする」能力が失われていくのをヒシヒシと感じて悲しくなる。