良いお旦とは

酔っ払いの無駄話。長文ですがオチはないよ。読むならそのつもりで。

ここ数年で色んなところに顔を出してます。その中で、最近、思う事があります。

落語教室から始まって、寄席文字、出囃子を教わったり、幇間芸、東八拳を教わったり、まぁ無節操に活動してます。別にどこかの分野で活躍できるとも、僕が学ぶ事が伝統文化の普及・発展に貢献できるとも思ってません。何を担うこともなく、何の責任もなく、ただ興味のままに趣味の一つとして楽しんでますし、それが相応だと思ってます。同時に、そういった伝統文化の世界が無くなって欲しくないな、もっと言えば盛り上がって欲しいな、と思ってます。

そうすると時折、もう自分が趣味とは言えプレイヤーでいる余力を減らして、パトロン、お旦になるのに集中するのが一番良いのか、と思ったりします。寄席でもお座敷でも何でも、文化の担い手である数多くの芸人さんを応援する、という形で楽しんでる人が大多数を占めています。でも悲しいかな、持ったが病、と言うより、ハマる前に落語教室の門を叩いてしまったからか、高座の快感を手放す覚悟が出来ない、潔くない自分もいるのです。

だから、せめて自分に出来る範囲で良いお旦でいたいな、と、思います。でも、芸人さんにとって良いお旦と言うのは一体何なんだろう?とか探りながら、やっぱりあちこち顔を出しながら過ごす日々です。

まだ回答が出てないので、オチはないよ。ただ、何つーか、こういうモヤモヤにぶつかる人は他にいないのかな、と、思ったので書き記してみました。自分でも上手く伝わるか自信がないので、何言ってるか分からねー、と思った方は時間の無駄ですみません。お粗末様でした。

追記

見直して思ったのですが、要はお世話になってる、とか応援したい師匠の落語会と、自分のデイケア等の高座が重なったくらいでいちいち糞真面目にジレンマぶってんじゃねーぞ、くらいの気がしてきた。悩み過ぎなのかなぁ。もちっと気楽にいきたいね。まあいいや、おやすみー。