円生と志ん生

於 紀伊国屋サザンシアター

落語が好きだ。
と、つい数年前に落語を知ったような僕が言ったところで、にわか発言に過ぎない訳ですが、まあ、好き嫌いは主観なので勝手に言わせて貰います。

その上で、落語が演劇に敵わない点が3つあると思う。

1つ目は、セットや道具がふんだんに使える事。これは異論があるかも知れない。扇子と手拭いと言葉で表現するのが落語の良さなのだから。でも、言ってしまえば扇子でも、手拭いでも、言葉でも表現出来ない事にはとても伝達力が弱い。

2つ目は、複数の人物を同時並行で動かせる事。勿論、落語も複数の人物を演じ分けるが、演じるのが1人、口が1つである以上、どんなに素早くやっても決して同時並行にはならない。

そして3つ目は、戦争をテーマに出来る事。一部、柳昇師匠の「与太郎戦記」のような例外はあるにせよ、「現在の」寄席や落語会において、古典であれ新作であれ、戦争をテーマにした落語が上演される可能性は皆無である。「現在の」というカッコ書きがあるのは、戦時中はあったそうだ。この辺りにも言いたい事はあるのだが、長くなるし、まだ受け売りの域を越えないので割愛。

この、特に3つ目の点によって、この演劇は落語が1つのテーマであるにもかかわらず、落語では表現出来ないと思いました。

この演劇は、若かりし志ん生師匠と円生師匠が満州に慰問に行った六百日間を舞台にしたもの。ただ、お二人ともその事については語らなかったそうなので、ほぼ井上ひさし氏のリサーチに基づいた創作です。若かりし、なんて書いたけど、当時は志ん生師匠が55歳、円生師匠が45歳だから、まあ、それなりのオッサン2人連れ、てはあったようだ。また前述で、戦争をテーマ、なんて書いてしまったけど、正確には戦時中の話ではなく、お二方が満州について三ヶ月後に戦争は終わってしまった。その後2年間、中国は大連に残った日本難民としての生活が描かれてる。

この時代設定、状況も凄い。僕は馬鹿なのでこれまでイマイチ、ピンと来なかったが、玉音放送でハイ戦争おしまい速やかに撤収、とはならない。その後、敵地ど真ん中に大勢残った敗戦国民の地獄たるや、ちょっと洒落にならなかった。シベリア送りの恐怖、同胞者の密告、中国、ロシアからの抑圧、詐欺の横行。その中で、乞食同然まで落ちぶれながら、志ん生師匠と円生師匠は落語の事を考え、いつか日本で言葉の分かる大勢のお客さんの前で落語をするまで生きる事を考えてる。この情熱を、その後名人になる人物が故の特別な感情だと思うのは間違いだ。人前で落語をして、笑って頂いた経験からくる中毒性、こればかりは名人も素人も変わらない。

説明だけじゃなく僕自身の感想も書いとくと、ネタバレになって申し訳ないが、まあ、何度も再演してる演劇なので勘弁して。ラサール石井さんの志ん生師匠、大森博史さんの円生師匠は、ビジュアル的には超そっくりでした。口調は、寄せてる寄せてる、とは思いましたが、ビジュアル程は似てると言いにくいかも。ラサール石井さんは関西人だしなあ。困窮極まった志ん生師匠が、ある事がきっかけでキリストに擬えてしまうところで一番爆笑しました。それと、ラストシーン、日本に戻る船を見つめる志ん生師匠こと、ラサール石井さんの表情に注目です。

あと、昨日の日記の僕に対する反論、志ん生師匠も円生師匠も、才能が開花したのは満州から戻ってきてからだそう。あんた、スネるにゃちょっと早いんでねえですかい?

 

補足

この後、紀伊国屋サザンシアターは9/24まで、兵庫西宮の兵庫県立芸術文化センターで9/30〜10/1、宮城仙台の日立システムホールズ仙台では10/8、山形川西町の川西町フレンドリープラザで10/4に公演されるそうです。気になる方は是非!