アルジャーノンに花束を

昔のオカルト科学雑誌に載っていた宇宙人の想像図は、みんな頭が大きかった。それは、脳の大きさ=賢さ、と言う理解であったからだと思う。

現代においては、賢さは、脳の大きさではなく、神経細胞(ニューロン)の密度だと言われています。神経細胞の間を蜘蛛の巣のように行ったり来たりする電気信号(情報)のルートが多ければ多いほど、高い知恵を持っている、という考え方です。例えば、頭の大きさに対して、不思議な程に知能指数の高い鳥の知能の解析に役立っているとか。

で、二週間くらいかけて、今日やっと読み終わったこの本。
名作過ぎてネタバレもへったくれもないので、粗筋を説明すると、知的障害(原文を尊重すれば「白痴」)のチャーリーが、最先端の手術によって天才となるが、やがて白痴に戻ってしまうという話。

原作もきっとそうなのだろうけど、日本語訳の凄まじさの一つに文体の変化があると思う。物語は終始、チャーリー自身のレポートという体で進んでいくのですが、序盤はほぼ平仮名。誤字も多いし文体もめちゃくちゃ。それがやがて知的な文体に変わっていくのですが、そのグラデーションぶりに舌を巻く。前述の通り、今度は逆のグラデーションが描かれて、チャーリーは白痴に戻って物語は終わる。

でね、最初の話に戻ると、紙に書かれている文章が視覚的にもニューロン密度を連想させているように思えて悲しかった。特に理路整然と、有り体に言えば専門用語や漢字が多用されてる天才の頃の文章は、紙面も真っ黒でニューロン密度が高く、そこから、櫛の歯が抜けるように、ぽろ、ぽろと平仮名が増えていき、文体も混乱していき、まるでチャーリーの脳内をそのまま見せているかのように、紙面に余白が増えていく。

だから、僕にはまるで、絵本を見ているようでした。

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