ハーメルンの笛吹き男の如く、四匹の猫を連れ歩きながら、実家じゅうの窓拭き。
皆様、良いお年を。
Kojika-yose and My state of confusion
ハーメルンの笛吹き男の如く、四匹の猫を連れ歩きながら、実家じゅうの窓拭き。
皆様、良いお年を。
猫屋敷こと、実家に帰省しました。
布団に入った途端に猫二匹が飛び込んで来てゴロゴロの輪唱。
うるせぇ(笑)
今年もあと一日。こんな右往左往な落語ブログですが、飽きずに読んで下さった皆様、本当にありがとうございました。
正月中は猫ブログになります。
そういや、キック・アス昔好きだったなー、と、思いながら借りて観ましたが、同じくらいサイコーです。キレッキレのアクションは勿論の事、程よく下品なのも好み、また、物語全体が「連綿と続く世代交代」なので、殺されても次の代が、殺されても次の代が、最後には主人公が倒す、といった展開に震える。
あと、やっぱラスボスのガードマンである、足に刃物を仕込んだ義足の中華系美女に痺れる。舞うような動きで人体をサクサクと切断。グロい、美しい、でもやっぱエグい。サイコー。
最近、わりかしまともな映画ばかりだったので、ギャップも含めて、非常に堪能しました。
普段、お世話になっております活ハウスが明日12/29、一周年記念という事で
15時から夜まで終日、開くそうです。出入り自由で食べたり飲んだり落語したり。
私も大掃除が済み次第、伺おうかと思います。
http://www.asahi.com/area/event/detail/10244144.html
第四回仔鹿寄席のイベント登録が終わり、色々なイベント系ホームページから確認できるようになりました。今回も文章にお化粧して(笑)、仔鹿寄席初心者を誘い込む仕上がり。
昨日、打合せの後、同席していた営業課長に「君は安定した話し方だから聞いてて安心するね」と評価され
先日、某高座の後、同席していた社会人落語仲間の方に「君はどうしてそんなに緊張した噺し方をするの?」と評価される。
仕事17年目、落語5年目、このギャップを埋めるのがもっぱらの課題。
寄席文字教室の先輩、の中でも最古参クラスのお姐さんから、先日、かっこいいから聴いてみ!とオススメされたのがこの方。いまの紫文さんのお師匠さんにあたる方ですね。
僕なんか根が浅はかですので、そのうちYouTubeで聴いてみますー♪なんて笑顔で安請け合いしたのですが、ねーんだわ。ネットに。こうなると、如何あっても聞きたくなるのが、性分でして、あちこち探した挙句、ミュージックテイト西新宿でようやく発見。
で、いま聴いております。くっ!確かにカッコいいわ!懐古趣味ではないので、古けりゃ良いとは思わないけど、でも、う〜む、いや、うまく伝えられないけど、でも、良いなあ。
それを聴きながら、さっき図書館で借りた圓生師の「寄席育ち」を読みながら、仔鹿寄席のチラシを届けに両国亭に向かうアタシ。耶蘇教の奇祭なぞ知りやせん。
親孝行って何?って考える
でもそれを考えようとすることがもう
親孝行なのかもしれない
− 浜田雅功と槇原敬之「チキンライス」
この冒頭ワンセンテンスの(涙腺)破壊力よ。松っちゃん、恐るべし。
さりとは狭いご料簡、死んで花実が咲くかいなァ
- 一中節「小春」より
落語教室の大先輩であります、吉遊さんから
吉「今度、活砲偽さんと、活ハウスで千葉大会に落ちた人だけの会やるんだけど、よけr」
福『お願いしますっ!!!!』
吉「・・・」
というわけで、新春早々1/14に、”落伍”しちゃいます♪ 来年の初高座です!
バンザーイ\(^o^)/
詳しい内容は、「そのほかの出演情報」にて。
2017年も何卒、宜しくお願い致します。
昔のオカルト科学雑誌に載っていた宇宙人の想像図は、みんな頭が大きかった。それは、脳の大きさ=賢さ、と言う理解であったからだと思う。
現代においては、賢さは、脳の大きさではなく、神経細胞(ニューロン)の密度だと言われています。神経細胞の間を蜘蛛の巣のように行ったり来たりする電気信号(情報)のルートが多ければ多いほど、高い知恵を持っている、という考え方です。例えば、頭の大きさに対して、不思議な程に知能指数の高い鳥の知能の解析に役立っているとか。
で、二週間くらいかけて、今日やっと読み終わったこの本。
名作過ぎてネタバレもへったくれもないので、粗筋を説明すると、知的障害(原文を尊重すれば「白痴」)のチャーリーが、最先端の手術によって天才となるが、やがて白痴に戻ってしまうという話。
原作もきっとそうなのだろうけど、日本語訳の凄まじさの一つに文体の変化があると思う。物語は終始、チャーリー自身のレポートという体で進んでいくのですが、序盤はほぼ平仮名。誤字も多いし文体もめちゃくちゃ。それがやがて知的な文体に変わっていくのですが、そのグラデーションぶりに舌を巻く。前述の通り、今度は逆のグラデーションが描かれて、チャーリーは白痴に戻って物語は終わる。
でね、最初の話に戻ると、紙に書かれている文章が視覚的にもニューロン密度を連想させているように思えて悲しかった。特に理路整然と、有り体に言えば専門用語や漢字が多用されてる天才の頃の文章は、紙面も真っ黒でニューロン密度が高く、そこから、櫛の歯が抜けるように、ぽろ、ぽろと平仮名が増えていき、文体も混乱していき、まるでチャーリーの脳内をそのまま見せているかのように、紙面に余白が増えていく。
だから、僕にはまるで、絵本を見ているようでした。