襲名披露パーティーにて

橘家文左衛門 改め 橘家文蔵師匠の襲名披露パーティーに行ってきました、が、

個人的な事情で、インターネットで書けない事が多すぎる…ゴメンナサイ。

その辺りはおいおい書くかも知れませんが、折角ですから一つ、印象に残っていたことを。

祝辞が流れていく中、落語協会顧問の三遊亭金馬師匠が登場して

「俺も先代と比べられるが、お前だって比べられても困るよなあ(笑)…俺は、芸では師匠(先代金馬)には追いつけなかった。けどさ、師匠よりずっと長生きしたぞ。前の文蔵さんは早死にだったけど、お前は長生きしろよな」

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なんて事を、御歳87歳のちっこくてラブリーなおじいちゃんが言うわけよ。もー、なんなんだよ、あのちっこいおじいちゃんは!(涙)金馬師匠も文蔵師匠も、120歳くらいまで生きて落語やって下さい!

と、本当に素敵な会でした。不勉強で未熟者にもかかわらず、いろいろ話しかけたり教えてくださった同じテーブルの方々、ありがとうございました。あ、うっかり人のデジカメ(スマホ)でカメラマンばかりやっていたので、アタシの写真は手元に一切ありません!悪しからず。

文蔵師匠には足向けて寝られないナァ…。

not一貫性

最近、つと思うのは、僕は自分で思っている程、一貫性のある人間ではないということ。

決めたそんときゃ、「武士に二言無し」、くらい本気で思ったりするけれど、明日には二言、明後日には四言、一週間後には百二十八言になってるくらい、その時々の気分で、ふらふらしている。

勿論、それは反省すべきだと思うし、あんまり格好よくはないので、決めた事なら最後までやり抜こう、とは思っているのですが、これまでの人生、そうでない事の何と多い事か。

だから、自分の周りの人に一貫性がなくても、それは責められる事じゃないよな、と、思うよう気をつけてます。人の心は移ろいやすく、また、その時は真意を捉えた、と、思っても、それは自分の勝手な解釈であったり、たとえ相手が嘘をついたのでなくとも、その時の真意から変わっていたりで全くアテにならない。自分自身の意思がアテにならないのだから、これほど確かで不確かなものはない。

じゃあ、自身含めて全ての人間を疑って暮らしていけば、もしくは、一貫性なぞハナから求めず、常にその場限りで表面的に関わっていけば、それで楽になれるのか、ってのも、ちょっと違うと思うしなあ・・・。

と、なんとなく文章化して客観視してみれば、方向性めいたものが見えてくるのかと思いましたが、どうも、自分にとってはそれほど安易な問題ではないらしい。と、いうのが現時点での見解。自分にとって確かな事実は、ただ一つ。「僕は自分で思っている程、一貫性のある人間ではない」と、という事だけ。まあ、これを押さえておえば、少なくとも自分の意見に固執する事はなかろう。

こんな結論の出ないモヤモヤを残しておけるのも、ブログの愉しみって事で。

 

(追記)

ちなみに、宣伝という訳ではないですが、このブログは、記事を最初にアップしてから、細かいのも含めて平均で7回〜10回くらい手直しをしてます。読み返してみたら、なんか言いたい事と違うな、と思ったり、この書き方じゃ誤解されるな、と思ったり、夜書いて朝起きて見直したら、真逆の意見に変わったり。だいたい最初にアップしてから24時間くらい経つと、内容が落ち着く感じですので、既読の記事でも、こまめに来ると面白いかも知れません。

やっぱ宣伝じゃねーか(笑)

ディア・ドクター

これは、美談ではない。
決して、美談ではない。

問題は何も解決してないし、
その場凌ぎで場当たり的で、
嘘をつく度に、高いところに持ち上げられて、
でも、結局、良心の呵責に負けて、
それまでの信頼も、実績も、全部放り出して、
逃げ出したに過ぎない。

何人かは庇っていたけど、
多くの人々はやっぱり、正論で怒っていた。

命を危険にさらす行為には違いない。

だから、美談ではない。
決して、美談ではない。

なのに、なんで、スタッフロールが滲むのだろう。

目を細めて、顔全体で、笑ってた。
安心させるための、偽物の笑顔なのかも知れない、けど。
それは、命を救う(延命する、という意味でなく)、尊い笑顔だと思いました。

ある先輩が勧めてくださいました。
ありがとうございます。

 

 

でも、一人で泣くのは苦手なんです。今度は笑える感じのやつをぜひ(笑)