落語鑑賞覚書

鈴本演芸場

途中入場

正朝「ん廻し」
三三「加賀の千代」
市馬「狸賽」
ホンキートンク「漫才」
喬太郎「純情日記渋谷編」
新治「源平盛衰記」

仲入り

仙三郎社中「太神楽」
権太楼「疝気の虫」
正楽「紙切り」
さん喬「白ざつま」

(敬称略)

えー。本日の墓参り後の飲み会(っても実質サシ飲み)を強行しなかった理由はこれです(笑)石をっ石を投げないでっっ

いや、前売りソールドアウトの時点で薄々感じてはいましたが、久しぶりに2時間以上、立ち見で観覧いたしました。いま足がすげえ痛いっす。

そうまでして観たかったのは、これまで音声しか知らなかった権太楼師匠の「疝気の虫」です。ネタ出しで拝見する機会を逃す手はないのと、圓朝忌で遠目で見た時(憧れの眼差し)、時折、厭な咳を出されてたのが引っかかって。結果、勿論、本日はちゃんと拝見し、仕草や上下を頭の中に焼き付け(次の正楽師匠の出番の時に慌てて廊下に出て全てメモに書き写し…ヤな客だねマッタク!)、事なきを得たのですが、明らかに終盤はハイペースで締め括ってたので、やっぱり不安は残る。ちょっと無理してでも優先的に行こう。

トリのさん喬師匠は「白ざつま」、別名「菊江の仏壇」。全く予備知識なしで拝見したのですが、成る程、全日で今日が一番最初にソールドアウトした理由がよく分かりました。これを現場で観れるなら立ち見だろうと何だろうと厭わない噺でした。僕があれこれ解説するのは、分不相応なので大概にしますが、一番印象に残る場面は、遊び人の若旦那が告白する「(菊江と違って)お花は、私の前で泣きもしないんだ、怒りもしないんだ、なんだか、あの子の前にいると、自分がとても小さい人間に思えて厭なんだ」という台詞。言葉から血が滲むのを幻視する程に痛々しく思えた。それは、贖罪ではなく、むしろ卑近な自己正当化でしかないのに、僕は共感してしまった。

また、終演後、さん喬師匠が一人「茄子と南瓜」を踊る姿が、愛されてるはずなのに、最後まで蚊帳の外な菊江にも似て、とても孤独で、だからこそ、美しかったです。