昨日、駅の蕎麦屋に行ったら

玉子はどんぶりの上で割るし

かき揚げはひたひたに浸すしで最悪の気分。

でも、時間がないので

喉元まで来てる文句を堪えて立ち去った。

 

今日、同じ店に来たら、

先輩と思われる人が付きっ切りで指導してて

勿論、ちゃんと直ってる。

よくよく顔を見たら、つい数年前まで

蕎麦の存在も知らなかったであろう外国の方。

いい、いい、

俺もケバブいきなり作れって言われたら

ヘンテコな物になると思うよ。

 

こういう事があるから

初見で腹をたてるのは、控えたいと思います。

柳家小三治「落語家論」について

先日、少しだけ引用させていただいたけど

この本が面白くて仕方ない。

私は普段、通勤中は音楽だったりポッドキャストだったりを聴いてる事が多いのですが

それは、満員電車の中でスペースをとらないのが主な理由ですが

ここ数日は、下車ギリギリ、乗り過ごす直前までこの本を読んでいる。ちょっと長いエスカレーターに乗った時にも、落語会の仲入りにも。

それだけじゃ足りなくて、会社の昼休みも読んでいる。

 

そんなに面白いなら、自宅で読めばあっと言う間に読み終えるだろうに、と、思う人がいるかもしれないが

 

伝わるかどうかわかりませんが、

腹の底から面白い本は、

そう簡単に読み終えたくないのだ(笑)

落語鑑賞覚書

西新宿ミュージックテイト

ろべえ「居残り佐平次」

朝也「粗忽の釘」

仲入り

朝也「船徳」

(敬称略)

 

ジム休館日なので、柳家ろべえさんの様子を見に。

勿論、落ち込んでるんだろうし、

同時に、それでも落ち込んでるところなんて毛ほど見せないのだろうとは分かっていても、

まあ、元気そうで何よりでした。

小三治師匠預かりだそうで、披露目興行、応援したいけど入れるのか自信がなくなってきました…。

 

「居残り佐平次」は、

まさに喜多八師匠が透けて見える演じ方で、

何度か高座を拝見した師匠が亡くなると言う体験が初めて(米朝師匠も春団治師匠も扇鏡師匠も、生では拝見してないのです)な、落語初心者の私にとって、

成る程、噺家さん達をずっと見ていくと言うのは、

こう言う事の繰り返しなんだと、

静かに穏やかに、でも楽しく思えました。

とぜんそ

小さい事をつらつらと。

  • 寄席文字教室、3期目の支払いを済ませてきました。継続です。半年たって、少し周りが見えてきた。数字を卒業して初めての課題が柳家「福治」。顔がにやけてしまう。
  • 久しぶりに教室明けに何人かと呑ませていただく。流れで奥の席に座ってしまい、諸先輩方に色々動いていただき申し訳ありませんでした>_<
  • 7月に成田山で課外授業があるのですが、現地がちょうどお祭り日な事もあり「浴衣着ていきます」宣言。そうまでして目立ちたいのか。はい。

 

  • テレビ録画をiPhoneで観れるツールを捜索中。家でばんばん落語番組を撮っているのだが、それを通勤中に見たいのだ。
  • 落語はライブ。現場で観るのが一番良いのは分かっているのですが、根がヲタクなのでライブラリ化したい欲求もあるのだ。言ってもそんなに演目知らないしなー。

 

  • 7月を迎えるにあたり、トップページをブログから仔鹿寄席の告知に変更。これまで別に告知より近況報告を優先したかった訳ではなく、単純にやり方が分からなかっただけなんです。
  • これで、色んなイベント記事から来た人が困惑しないぞっと(笑)

江戸弁について

「江戸・東京の言葉が出来なければ、舞台も言葉も人物設定も、全部君の故郷に作り直せ」

柳家小三治「落語家論」

 

私、三代以上続いた江戸っ子だったりするですが、

それが落語をやる上でのアドバンテージになると思った事は微塵もなく、

出自を言う事で、むしろ出来て当たり前だと思われる江戸弁(まったく出来ない)

を笑われるのが怖かったので、すっかり引け目を感じてました。

(時々、自虐的に言う事はありますが)

近頃では、出来ないなら、出来ないままでいいや、と思っていた昨今、

先日、デイケアでご一緒させていただいた

僕より十歳下の、綺麗な江戸弁を使う埼玉出身の青年に、

強く勧められたのが、小三治師匠の「落語家論」。

もともと、入門したての噺家さんに向けての本だったそうなのですけど

上記の引用文に、とても納得しました。

彼曰く、「江戸弁だと思わずに、落語の国の言葉だと思えばいいんですよ」

ですって。

損得勘定で人付き合いを決めた事はないですけど、

必要な時に必要な言葉を持っている人に出会えてるってことは

僕もまだ、ツキに見放されてる訳じゃァないのね。

 

とはいえ、聞いた音そのままを再現する技術は、持ち合わせていないので

僕の場合は、同時にルールを覚えてみたいと思う。

道のりは遠いけど、まずは、鼻濁音から勉強してみようか。

飲み会で、年上女性に学生と間違えられた。

「下っ端体質ですから」なんて言って笑って返したものの、

これで学生っぽいと言われるのは

半年前に引き続き二人目だったので、

何かあると思うのですが、

何故そう見えたのか、聞きそびれてしまった。

悟りについて

「生きる?死ぬ?
 それがなんだというんだ
  宇宙のなかに人生などいっさい無だ!
  ちっぽけなごみなのだ!」

手塚治虫「火の鳥 鳳凰編」

なんか、冒頭に引用文を載せると、

馬鹿な文章でもカッコよく見えますね(笑)

主人公、我王が悟りを開く有名なシーンです。

僕は悟りを開いた事は勿論ないので、

正直、よく分からないのですが、

某所のブックレビューで、「悟り」をすごく明確に説明してある、と聞いたので、

飲み会集合までの時間潰しに買ってみました。

image

表紙だけ見ると胡散臭くはなさそうですが…

さて、何が書いてある事やら。

新作落語講座について

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。

中島敦「山月記」

 

七月より三ヶ月間、三遊亭天どん師匠の新作落語台本講座を受講する事にしました。

自分の処女作「バリコテ」を沢山の人に評価していただき、より良いものへと磨く事と、

逆に、「バリコテ」への完璧主義的な思い入れを捨てて、自分の中に創作を量産する体制を作る事。デイケア出演が高座に上がる事への臆病さを捨てたように、創作する事、評価される事への臆病さを捨てること。

矛盾してるかも知れませんが、

その両方を兼ね備える事が受講の目的です。

 

李徴は後悔を口にしてましたが

自己弁護の檻から解放されない私は、

彼が、野生の虎になる事でようやく

臆病な自尊心と、

尊大な羞恥心の呪縛から解放され、

内心ほっとしたのではないか

と、

少しだけ邪推して相憐れむ(笑)

 

にしても、一気に習い事を増やしすぎだー!

子供の頃だって、こんなに習い事行ってないぞ!

林ナントカ先生が以前テレビで、「誰かにお金を払って貰って学習できるという贅沢さ」

を説いていましたが、

まさにその通りだと思います。

あじさい

image

気分転換に着物を…なんて金はないので

手ぬぐいを買いました。

汚れが目立つのでコスパは悪いのですけど

白地に藍、は欠かした事がないです。

柄は、雨の季節らしく、あじさい。

さいだぁのストロオに 細い指をからませて 遥か遠い蜃気楼で 袖を引かれました

サニーデイ・サービス「あじさい」

…誰ですか?似合わねーって言ってるのは。

見た目が暑苦しいので、

このぐらいでとんとんだっちゃ。