「江戸・東京の言葉が出来なければ、舞台も言葉も人物設定も、全部君の故郷に作り直せ」
柳家小三治「落語家論」
私、三代以上続いた江戸っ子だったりするですが、
それが落語をやる上でのアドバンテージになると思った事は微塵もなく、
出自を言う事で、むしろ出来て当たり前だと思われる江戸弁(まったく出来ない)
を笑われるのが怖かったので、すっかり引け目を感じてました。
(時々、自虐的に言う事はありますが)
近頃では、出来ないなら、出来ないままでいいや、と思っていた昨今、
先日、デイケアでご一緒させていただいた
僕より十歳下の、綺麗な江戸弁を使う埼玉出身の青年に、
強く勧められたのが、小三治師匠の「落語家論」。
もともと、入門したての噺家さんに向けての本だったそうなのですけど
上記の引用文に、とても納得しました。
彼曰く、「江戸弁だと思わずに、落語の国の言葉だと思えばいいんですよ」
ですって。
損得勘定で人付き合いを決めた事はないですけど、
必要な時に必要な言葉を持っている人に出会えてるってことは
僕もまだ、ツキに見放されてる訳じゃァないのね。
とはいえ、聞いた音そのままを再現する技術は、持ち合わせていないので
僕の場合は、同時にルールを覚えてみたいと思う。
道のりは遠いけど、まずは、鼻濁音から勉強してみようか。